青森県 十和田市
-あおもりけん とわだし-
十和田市の歴史
もともと十和田市のあたりは三本木原と呼ばれる荒蕪の台地で、台地周辺に寒村が点在していた。安政2年(1855年)の時に新渡戸稲造の祖父の新渡戸傳(にとべつとう)を中心に奥入瀬川から水を引く計画に着手し、安政6年(1859年)稲生川(いなおいがわ)として引水に成功して開拓の基礎ができた。明治18年に陸軍が軍馬局出張所を設置(明治29年に軍馬補充部三本木支部と改称)したことから、馬産が栄えた。同市の農事試験場(藤坂試験場)で開発され、昭和24年から普及段階に移された稲の品種「藤坂5号」は非常に冷害に強く、やませが吹いて夏が冷涼なこの地域で急速に広まり、現在のような穀倉地帯になった。現在「藤坂5号」そのものは多く栽培されてはいないが、その遺伝子は多くの稲の品種に組み込まれている。
官庁街通り駒街道
官庁街通りは、碁盤の目状に整然と区画された街並みのなかで、ひときわ美しい十和田市のシンボルロード。馬産地であった十和田市には、旧陸軍軍馬補充部が設置されていたが、戦後間もなく軍馬補充部用地が開放された際、官公庁用地として整備されたもので、道の両側には40を超える国・県・市の官庁が並び、熊本市・丸亀市とともに、都市計画法の事務所地区に指定されている。長さ1.1km幅36mの道には165本の松と156本の桜が4列の並木を作り、春には桜、冬にはイルミネーションが彩りを添えます。また、花壇にはサルビアやパンジーなどの花が四季折々に美しく咲き誇る。
また、歩道両側には、それぞれ奥入瀬渓流・稲生川をイメージした水の流れや、さまざまな馬のオブジェが配置されている。
散策の場として、また、まつりやイベント会場として、常に市民に親しまれている事等が理由となって、昭和61年8月10日に「日本の道・百選」(建設省選定)に選ばれた。また、平成19年3月2日に「美しい日本の歴史的風土・準100選」にも選ばれている。
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